盛岡地方裁判所 昭和60年(ワ)45号 判決 1988年2月25日
原告
遠藤力雄
原告
遠藤ミヨ
右両名訴訟代理人弁護士
菅原一郎
同
菅原瞳
被告
(旧日本国有鉄道)日本国有鉄道精算事業団
右代表者理事長
杉浦喬也
右訴訟代理人弁護士
畑山尚三
右指定代理人
天野安彦
右同
安岡昌籠
右同
中野誠也
右同
吉田誠
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の申立
一 請求の趣旨
1 被告は、原告両名に対し、各金三三二七万九九六八円及び内金三〇二七万九九六八円に対する昭和五六年七月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文と同旨
2 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (当事者)
(1) 被告は、昭和六一年法律第八七号「日本国有鉄道改革法」に基づき日本国有鉄道(以下、「旧国鉄」という。)の承継法人に承継されない債務等を処理するための業務等を行うために設立された法人である。
(2) 亡遠藤巖(昭和三五年五月一三日生・以下、「亡巖」という。)は、昭和五五年四月一日、旧国鉄との間で雇用契約を締結し、同年一〇月一日からは旧国鉄盛岡鉄道管理局釜石駅の構内係(連結担当)の職にあった。
2 (事故の発生)
(1) 昭和五六年六月三〇日、釜石駅構内山田本線に午後五時五三分ころ到着した第六九五貨物列車(以下、「本件列車」という。)の貨車を分解するための入換作業(以下、「本件作業」という。)が行われた。同作業に従事した職員は、操車担当の多田尚徳、転轍担当の佐々木三樹夫及び吉田美己、連結担当の亡巖、熊谷泰幸及び山内健幸の六名であった。
(2) 右六名の職員は、同日午後五時三〇分ころから同駅構内の輸送室において本件作業の打ち合わせを行った。同作業においては、多田操車担当が吉田転轍担当と山内連結担当を伴って専用一〇番線に赴き、同線に待機している入換機関車(ディーゼル機関車DD一三六四四号)に貨車二両(控車七六二号及びタンク車コタキ二五七八四号)を連結し、これを引上線に引上た後、本件列車で山田本線に到着した貨車一〇両に連結して再び引上線に引上げ、七回にわたり分解作業を行うことになっており、右六名は、同日午後五時四九分ころ、それぞれの作業担当場所に向かった。
(3) 亡巖及び熊谷連結担当は、釜石駅山田ホーム盛岡方向末端付近の山田本線と山田二番線の間で本件列車を待ち、同列車の到着後、手分けして後部貨車から順次前方へ向けて貨車の解体作業並びに貨車と貨車とを繋いでいるエアホースの切り離し作業及びブレーキの緩め作業を行い、その後、到着貨車の前を通って山田ホームに上がった。そして、亡巖は、同ホームの盛岡反対方向末端付近で、入換機関車に連結された貨車二両が本件列車に連結されたのを確認し、多田操車担当に対し、「連結よし」と言いながら片腕を水平に延ばして合図をした。
(4) 右連結の際の衝動により貨車が移動したとき、「キー」というブレーキ音が発生した。これに気付いた亡巖及び熊谷連結担当は、二両目のタンク車を乗り越えてホーム反対側に降りてブレーキの緩解不十分な車両を見つけるための作業に入った。そして、亡巖は、走行中の五両目の有蓋車(ハワム一八八七九五号)に添乗し、熊谷連結担当は、六両目の有蓋車(ハワム一八七二〇〇号)に添乗して緩解状態の点検をしたが、いずれも緩解されていた。そこで、熊谷連結担当は、七両目の無蓋車の踏台に添乗し、これを点検したところ、ブレーキの緩解が不十分であったので、エアー抜き作業(ブレーキを作用させている圧縮空気を抜く作業)を行った。
(5) 亡巖は、七両目の貨車の緩解が十分である場合には、五両目の貨車から降車して八両目以下の車両を点検する必要があったため、熊谷連結担当の添乗する七両目の貨車のエアー抜き作業の状態を見るため、後方を注目していたところ、山田本線と山田二番線との間に建植されていた列車停止標識(以下、「本件標識」という。)の位置に本件列車がさしかかり、同標識にその背中を接触させて線路上に転落した後、六両目の有蓋車に巻き込まれて左大腿部を轢断した(以下「本件事故」という。)。
(6) 亡巖は、本件事故の結果、同日午後六時三〇分ころ、釜石市民病院において、出血多量により死亡した。
3 (被告の責任)
(1) 旧国鉄は、雇用契約から生ずべき労働災害の危険全般に対して人的及び物的にその職員を安全に就労させるべき安全配慮義務を負うものであるところ、本件事故は、本件標識と貨車との間に職員が安全に作業し得るだけの空間を設けなかったことにより発生したものである。
即ち、列車停止標識は、職員が貨車の握り棒を握り、ステップに足を掛けた姿勢で貨車に添乗して作業をする場合でも、レールとの間隔を広くするとかより高い位置に設置するとかして、職員の身体と接触しない場所に設置されるべきである。しかるに、本件標識は、職員が右のような姿勢で本件貨車に添乗すると、背中の半分以上が接触し、また、合図等のために片手保持をする場合には、背中のみならず腰の大部分も接触する状態で設置されていた。このため、貨車に添乗したまま本件標識設置場所を安全に通過するためには、職員は、身体を貨車にへばりつけなければならず、本件事故の発生は不可避の状態にあったのである。
従って、旧国鉄は、本件標識の設置について安全配慮義務違反があり、この義務違反により生じた損害について賠償すべき責任がある。
(2) 被告は、同義務違反による旧国鉄の損害賠償義務を承継した。
4 (損害)
被告は、次の損害を賠償すべき義務がある。
(1) 逸失利益(合計金五七五五万九九三七円)
(イ) 国鉄職員としての得べかりし賃金
亡巖は、本件事故当時、月額一〇万五三〇〇円の基本給を受けていたが、予想される昇格、昇給を前提に本件事故後の基本給を求めると、別表(略)基本給欄に記載のとおりとなる。即ち、旧国鉄の職員賃金基準規程によると、通常通り勤務している職員は、毎年四月一日に四号俸以上の定期昇給を受け、更に、一定勤務年数経過後の一〇月一日に昇格することになっており、亡巖の場合、昭和五六年一〇月一日に三職(二九号俸)、同五九年一〇月一日に四職(四〇号俸)、同六二年一〇月一日に五職(四三号俸)、同六六年一〇月一日に六職(四九号俸)、同七一年一〇月一日に七職(六七号俸)に各昇格したはずである(なお、各昇格時から翌年三月までの賃金は、昇格前の金額で計算した。)。
また、扶養家族のある職員に対しては、月額金七〇〇〇円の扶養手当が支給されるところ、亡巖は、遅くとも満三〇歳には扶養家族を持ち、扶養手当の支給を受けるはずである。
更に、旧国鉄は、夏期及び年末に少なくとも各月の基本給及び扶養手当の合計額の四・二一か月分以上の期末手当を支給しているので、昭和六〇年以降、右基準に基づいて期末手当が支給されるはずである(なお、昭和五六年から同五九年までの期末手当については、現実に支給された額で計算した。)。
そして、旧国鉄の職員は、満五八歳で退職するのが通例であるから、亡巖が満五八歳で旧国鉄を退職するものとして旧国鉄職員としての得べかりし賃金は別表記載のとおりとなり、その合計金額は、四五四二万五三一四円となる(なお、亡巖は、遅くとも満三〇歳には結婚しているので、満二九歳までの生活費を五割、満三〇歳以降の生活費を三割として得べかりし賃金の額から控除して計算した。)。
(ロ) 得べかりし退職金
旧国鉄の職員賃金基準規程によれば、その職員の退職時に退職手当を支給されることになっており、亡巖が満五八歳で退職する場合に支給されるはずの退職金は、金一九二四万一七二二円となる。これをホフマン方式により現価計算すると、金六七四万九九九六円となる。ところが、亡巖は、二一歳で死亡退職し、金三八万七七二〇円の退職金を支給されたので、その差額である金六三六万二二七六円が亡巖の得べかりし退職金となる。
(ハ) 退職後の得べかりし賃金
亡巖は、旧国鉄を退職後、少なくとも満六七歳までの八年間、何らかの形で就労することが可能であるが、この間、少なくとも全男子労働者の平均年収以上の収入を得ることができると考えられ、この間の年収は、金三七九万五二〇〇円(昭和五七年度賃金センサス第一表、企業規模計、男子労働者計、学歴計による平均賃金)であるから、これから生活費として三割を控除すると、得べかりし利益は、年額金二五六万六六四〇円となる。これをホフマン方式により中間利息控除して現価を計算すると、合計金五七七万二三四七円となる。
(2) 慰謝料
本件事故による慰謝料は、金二〇〇〇万円が相当である。
(3) 相続
原告らは、本件事故による亡巖の損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続した。
(4) 損益相殺
原告らは、亡巖の死亡により、旧国鉄から、国鉄業務災害補償就業規則に基づく業務災害遺族補償一時金として、合計金一七〇〇万円の支給を受けたので、これを本件損害賠償額に各二分の一ずつ充当する。
(5) 原告らは、原告ら訴訟代理人に対して本件訴の提起を委任し、岩手弁護士会の定める弁護士報酬規程所定の手数料及び報酬の支払を約した。これによる弁護士費用は、各金三〇〇万円である。
よって、原告らは、被告に対し、損害賠償金各金三三二七万九九六八円及び内金三〇二七万九九六八円に対する本件事故の翌日である昭和五六年七月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1の事実は認める。なお、亡巖は、昭和五五年二月八日に旧国鉄の臨時雇用員として釜石駅に配属され、同年四月一日に同駅準職構内係、同年一〇月一日に職員となり、同駅構内係(連結担当)となったものである。
2(1) 請求原因2(1)ないし(4)の各事実は認める。
(2) 同(5)の事実のうち、亡巖が本件標識に背中を接触させて転落し、六両目の有蓋車に巻き込まれて左大腿部を轢断したことは認め、その余は否認する。
(3) 同(6)の事実は否認する。なお、亡巖の死因は、轢死(出血死)であって、同人は、昭和五六年六月三〇日午後六時一〇分ころ、釜石市民病院への収容途上に死亡したものである。
3 請求原因3は争う。
4(1) 請求原因4(1)(イ)のうち、旧国鉄がその職員に対して期末手当を支給していたこと、扶養家族のある者に対しては扶養手当を支給していたこと、旧国鉄の職員が満五八歳で退職するのが通例であることは認め、その余は争う。同(ロ)のうち、旧国鉄の職員が退職時に退職手当を支給されること、亡巖の死亡退職時に退職手当金三八万七七二〇円が支払われたことは認め、その余は争う。同(ハ)は争う。
(2) 請求原因4(2)は争う。
(3) 請求原因4(3)のうち、原告らによる相続及び相続割合は認め、その余は争う。
(4) 請求原因4(4)のうち、原告遠藤力雄に対し、遺族補償一時金として金一七〇〇万円が支払われたことは認め、その余は争う。
(5) 請求原因4(5)の事実は不知。
三 被告の主張
1 釜石駅は、盛岡で東北本線と連絡する山田線と花巻で東北本線と連絡する釜石線との終点駅であり、また、その駅勢圏には新日本製鉄株式会社釜石製鉄所を中心とした工場群があることなどから、貨物輸送上の重要な位置にあった。
本件事故当時、釜石駅に発着する貨物列車は、山田・釜石両線を合わせて一日につき二一本が設定されており、同駅における貨物の分解や組成等の入換作業が定例として行われていた。
2 本件標識は、日本国有鉄道運転規則(昭和三〇年三月一二日運輸省令第五号)一四一条二号、運転保安設備基準規程(昭和四〇年三月五日運達第三号)一一七条二号、一一八条二号、一一九条、運転取扱基準規程(昭和三九年一二月一五日運達第三三号)四一六条、四一七条二号の定めるところにより、列車を停止させる限界を示すため、列車が進入する線路の左側である山田本線と山田二番線の間に建植されていたものである。
また、日本国有鉄道建設規程(昭和四年七月一五日鉄道省令第二号)一七条、一八条では、建築限界が規程されており、線路に接近しての建築物と車両との間には一定の空間が設けられることになっているが、本件標識は、この建築限界を示すものとしてその外側に建植されていたものである。即ち、列車停止標識の建築限界は、高さは軌条面から一四〇〇ミリメートルを限度とし、軌道中心からの間隔は一六二五ミリメートル離すよう定められているところ、本件標識の高さは一二〇〇ミリメートル、軌道中心からの間隔は一七八五ミリメートルで、高さ、間隔とも右規程の範囲内であったので、本件標識の建植については、被告に何らの過失もない。
3 亡嚴は、昭和五五年一月七日から同年一月二五日までの間、盛岡鉄道学園に入学し、旧国鉄の業務内容、職員としての心構え、安全作業の心得等を中心とした採用前教育を受け、続いて、同年二月八日、臨時雇用員として釜石駅に配属され、同年二月九日から同月二四日までは、駅長、助役らの管理者から、駅業務の内容、作業上の傷害事故防止、安全・運転の各作業内規等の基本的事項の指導を受け、更に、同月二五日から同年三月三〇日までは、構内作業の実際について、専任された教導員に専属して見習業務に従事した。そして、準職員となった同年四月一日からは、一人立ちとなり、連結担当としてその職務に従事していたものであるが、釜石駅長及び助役ら管理者は、その後も絶えず亡嚴の作業状態に注意を払い、不安全行動がないかどうかをチェックし、その都度必要な指導を行ってきたものである。
ところで、旧国鉄は、安全の確保に関する規程(昭和三九年四月総裁達第一五一号)を定め、その職員に対し、安全確保の重要性を周知徹底させるとともに、右規程七条で「従事員は作業中自己及び他の従事員に死傷のないように十分注意しなければならない」とし、また、盛岡鉄道管理局においては、右規程に基づいて安全作業標準を設け、入換作業時における車両に添乗するときの正しい姿勢については、「顔を進行方向に向けて前方を注視すること。踏台に両足を揃えて乗っていること。身体を貨車に接近し、両手で双方の取手をしっかりと握りしめていること。」を指導してきた。更に、釜石駅においては、同駅の諸事情を踏まえた安全作業内規を設け、「車両への添乗は、入換合図、制動扱等作業上必要とする場合のほかは添乗しないこと。車両に添乗する場合は、所定位置に正しい姿勢をとり、前途の障害物に常に注意を払うこと。」と規定して、職員に対し、常にその趣旨の徹底をはかっていた。
亡嚴は、前記駅長らによる指導によって右の正しい姿勢を体得していたにも拘わらず、前記のような構内作業に従事する者としての最も初歩的かつ基本的な正しい姿勢を保持せず、前方注視を怠り、熊谷の作業に気をとられ、後方を振り向き、右手を握り棒から離したことによって身体が開いて貨車から離れ標識に衝突したために本件事故が発生した。従って、旧国鉄には、原告ら主張のような安全配慮義務違反はない。
四 被告の主張に対する原告らの反論
被告が主張する建築限界は、車両と建造物との接触防止のみを目的とするものであり、車両に添乗して作業する職員と建造物等との接触防止については何ら配慮するものではない。そのため、本件事故のような事故の発生する危険があるのである。
第三証拠関係(略)
理由
一 (当事者間に争いのない事実)
請求原因1の事実、同2の(1)ないし(4)の各事実、同(5)の事実のうち、亡嚴が本件標識に背中を接触させて転落し、六両目の有蓋車に巻き込まれて左大腿部を轢断したこと、同4の(1)(イ)の事実のうち、旧国鉄がその職員に対して期末手当を支給していたこと、扶養家族のある者に対しては扶養手当を支給していたこと、旧国鉄の職員が満五八歳で退職するのが通例であったこと、同(ロ)の事実のうち、旧国鉄の職員が退職時に退職手当を支給されること、亡嚴の死亡退職時に退職手当金三八万七七二〇円が支払われたこと、同(3)の事実のうち、原告らの相続及び相続割合、同(4)の事実のうち、原告遠藤力雄に対し、遺族補償一時金として金一七〇〇万円が支払われたことについては、いずれも当事者間に争いがない。
二 (本件事故に至る経緯及び事故の状況等)
前記当事者間に争いのない事実、(証拠略)を綜合すると、次の各事実が認められ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
1 釜石駅は、東日本鉄道株式会社盛岡駅で同東北本線に連絡する同山田線及び同花巻駅で右東北本線に連絡する同釜石線の各終点駅であるが、昭和五六年当時、釜石駅の駅勢圏には新日本製鉄株式会社釜石製鉄所を中心とした工場群が存在していたことなどから、旧国鉄における鉄道貨物輸送上の重要な地点に位置していた。
本件事故当時、釜石駅に発着する貨物列車は、山田・釜石両線を合わせて一日につき二一本が設定されており、亡嚴を含む同駅職員らによって、同駅における貨物の分解や組成等の入換作業が定例として行われていた。
2 本件標識は、日本国有鉄道運転規則(昭和三〇年三月一二日運輸省令第五号)一四一条二号、運転保安設備基準規程(昭和四〇年三月五日運達第三号)一一七条二号、一一八条二号、一一九条、運転取扱基準規程(昭和三九年一二月一五日運達第三三号)四一六条、四一七条二号の定めるところにより、同駅構内に進入した列車を停止させる限界を示すため、列車が進入する線路の左側である山田本線と山田二番線の間の地点に建植されていたが、その高さは、日本国有鉄道建設規程(昭和四年七月一五日鉄道省令第二号)一七条、一八条の規程する建築限界である軌条面から一四〇〇ミリメートルの限度外である一二〇〇ミリメートルであり、軌道中心からの間隔は、右建築限界である一六二五ミリメートルの範囲外である一七八五ミリメートルであった。
3 亡嚴は、昭和五五年一月七日から同年一月二五日までの間、旧国鉄の盛岡鉄道学園に入学し、旧国鉄の業務内容、職員としての心構え、安全作業の心得等を中心とした採用前教育を受け、続いて、同年二月八日、臨時雇用員として釜石駅に配属され、同年二月九日から同月二四日までは、駅長、助役らの管理者から、駅業務の内容、作業上の傷害事故防止、安全・運転の各作業内規等の基本的事項の指導を受け、更に、同月二五日から同年三月三〇日までは、構内作業の実際について、専任された教導員に専属して見習業務に従事した。
その後、亡嚴は、同年四月一日に旧国鉄の準職員になり、同年一〇月一日には職員(同駅構内係連結担当)となって、その職務に従事していた。
なお、旧国鉄は、安全の確保に関する規程(昭和三九年四月総裁達第一五一号)を定め、その職員に対し、安全確保の重要性を周知徹底させるとともに、盛岡鉄道管理局においては、右規定に基づいて安全作業標準を設ける等して入換作業時の正しい添乗姿勢につき、「顔を進行方向に向けて前方を注視すること。踏台に両足を揃えて乗っていること。身体を貨車に接近し、両手で双方の取手をしっかりと握りしめていること。」を指導してきた。更に、釜石駅においては、同駅の諸事情を踏まえた安全内規を設け、「車両への添乗は、入換合図、制動扱等作業上必要とする場合のほかは添乗しないこと、車両に添乗する場合は、所定位置に正しい姿勢をとり、前途の障害物に常に注意を払うこと。」と規定して、職員に対し、その趣旨の徹底をはかっていたし、亡嚴は、従前釜石駅助役らから、右と同旨の入換作業時の姿勢等に関する安全指導を受けていた。
4 昭和五六年六月三〇日、釜石駅構内山田本線に午後五時五三分ころ到着した本件列車の貨車を分解するため、本件作業が行われた。同作業に従事した職員は、操車担当の多田尚徳、転轍担当の佐々木三樹夫及び吉田美己、連結担当の亡嚴、熊谷泰幸及び山内健幸の六名であった。
右六名の職員は、同日午後五時三〇分ころから同駅構内の輸送室において本件作業の打ち合わせを行った。同作業においては、多田操車担当が吉田転轍担当と山内連結担当を伴って専用一〇番線に赴き、同線に待機している入換機関車(ディーゼル機関車DD一三六四四号)に貨車二両(控車七六二号及びタンク車コタキ二五七八四号)を連結し、これを引上線に引上げた後、本件列車で山田本線に到着した貨車一〇両に連結して再び引上線に引上げ、七回にわたり分解作業を行うことになっており、右六名は、同日午後五時四九分ころ、それぞれの作業担当場所に向かった。
亡嚴及び熊谷連結担当は、釜石駅山田ホーム盛岡方向末端付近の山田本線と山田二番線の間で本件列車を待ち、同列車の到着後、手分けして後部貨車から順次前方へ向けて貨車の解体作業並びに貨車と貨車とを繋いでいるエアホースの切り離し作業及びブレーキの緩め作業を行い、その後、到着貨車の前を通って山田ホームに上がった。そして、亡嚴は、同ホームの盛岡反対方向末端付近で、入換機関車に連結された貨車二両が本件列車に連結されたのを確認し、多田操車担当に対し、「連結よし」と言いながら片腕を水平に延ばして合図をした。
右連結の際の衝動により貨車が移動した際、「キー」というブレーキ音が発生したので、これに気付いた亡嚴及び熊谷連結担当は、二両目のタンク車を乗り越えてホーム反対側に降りてブレーキの緩解不十分な車両を見つけるための作業に入った。そして、亡嚴は、走行中の五両目の有蓋車(ハワム一八八七九五号)に添乗し、熊谷連結担当は、六両目の有蓋車(ハワム一八七二〇〇号)に添乗して緩解状態の点検をしたが、いずれも緩解されていた。そこで、熊谷連結担当は、七両目の無蓋車の踏台に添乗し、これを点検したところ、ブレーキの緩解が不十分であったので、エアー抜き作業を行った。
亡嚴は、走行中の五両目の貨車に添乗し、その両手で同車両の取手を握った体勢で同車両の進行方向とは反対側である後方の熊谷連結担当の添乗する七両目の貨車の方を注目していたところ、熊谷連結担当からの合図に対し、その右手を取手から離し、体を半身にしたような状態で熊谷連結担当に対して右手を挙げて合図を送った。
ところが、その直後、本件標識の位置に本件列車がさしかかったが、亡嚴は、右のように進行方向を注視していなかったためにこれに気づかず、また、安全な姿勢を保持していなかったため、同標識にその背中を接触させて線路上に転落した後、六両目の有蓋車に巻き込まれてその左大腿部を轢断した。
右事故により、亡嚴は、直ちに釜石市民病院に運ばれたものの、同日、大腿部轢断による出血により死亡する結果となった。
三 (被告の責任)
右認定事実を前提に、本件事故に対する被告の責任の有無について判断する。
まず、本件標識の設置位置の適否であるが、一般に、本件作業の如き構内作業が本質的に一定の危険を伴うものであることは当然のことであるから、旧国鉄は、右危険が可能な限り軽減されるように物的・人的施策を講ずるべきであるとともに、日常の安全教育等を徹底するなどして、その職員が労働災害に遭遇することがないようにするべき一般的な安全確保の義務を負っているものというべきことは当然であるが、当該駅施設の立地条件等の制約により、物的に危険を回避することに一定の限界がある場合には、その限界内で物理的に危険を回避することができるだけの物的条件を満たすべきであり、このような物的な対策のみによっては危険回避にとって不十分な点については、専ら人的な配置の適性及び安全教育及び指導の徹底等を尽くせば足りると解するべきところ、前記認定のとおり、本件標識は、建築限界に定める基準を満たす位置に設置されていたものであり、構内係職員は本件標識の設置位置を認識したうえで当該作業にあたるもので、前記安全作業標準等にいうその作業における安全な姿勢の確保を守っている限り、本件事故のような接触事故を惹起する虞のないものと認められること等の事情を考慮すると、本件標識の設置自体について旧国鉄に過失があったと認めることはできない。
そして、前記認定のとおり、亡嚴に対しては、構内作業の危険性及び安全性についての教育及び指導が十分になされていたのであって、この点についても旧国鉄に過失があったとは言えないばかりか、却って、(証拠略)によれば、亡嚴は、その指導期間中において、走行中の車両を移動してはならないこと、走行中の車両に添乗する場合には両手で取手を握って体を引き寄せる姿勢を確保し、前方を注視すべきであること等を厳しく指導されていたのにも拘らず、右指導事項をいずれも厳守しないで本件作業にあたった結果、本件事故を惹起するに至ったものと言うべきである。
なお、前記各証人の証言によれば、本件事故の後、「びっくり棒」なる設備を設けることによって、仮に車両添乗職員が前方を注視していない場合でも標識の設置位置が接近していることを認識できるような対策が講じられたことが認められるが、当該職員が前述のような構内作業における安全指導を正しく守っていれば本件のような事故の発生を防止することができること前述のとおりであって、このような設備が事故の発生防止のために不可欠のものであるということができないから、本件事故当時この「びっくり棒」の設置をしていなかったという事実があるからと言って、被告の責任に消長をきたすものではない。
してみると、本件事故について被告に過失があると認めることはできないからその余の点につき判断するまでもなく原告らの請求は理由がないというべきである。
四 (結論)
以上のとおりであって、原告らの本件請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中田忠男 裁判官 土居葉子 裁判官 夏井高人)